2012年5月18日 (金)

セミヌード


こんばんわ。

今日、アンドリューNDR114という映画を見ました。
1999年製作で、結構古い方に入るのかなと思いきや、そんな感じはかけらもせず、名作でした。
メジャーなのかマイナーなのか分からないけど、自分の周りでは知ってる人あまりいないようなのでマイナーなのかな…

家事手伝い用のアンドロイドが偶然、自我に目覚め、少しづつ人間に近づいていく話です。
一番最初に知的好奇心が芽生え、創作や音楽に触れ、家族との愛が生まれ、自由を求め、自分と同じ境遇の仲間を求め、恋をし、五感を求め、感情を求め、最後に人間であることを求めて飽くなき努力を続けます。

ロボットであるアンドリューにとって、単純に食べること、温かいこと、恋人とキスをすること、そんな日常の全てが感動的で新しいことなのです。

毎日が感動や、幸せに満ちているということ、そして人はいつか死ぬということ。この二つを再認識させてくれる映画でした。

とてもシンプルなのに、なぜかすんなりと心に響く良い映画で…。

よく金曜ロードショウで放送されていて、小さい頃によく見てました。最後に見たのは中学生くらいだったかな。
なんだか、自分の価値観形成に大きく関わっているんじゃないかなと思ったと同時に、当時は無意識的に理解していたこと、そして当時では理解できていなかった部分も見えてきて、その違いが面白かったです。
特に、死を受け入れるところでは、人の一生の限界と、それが自然の摂理であるというメッセージがあると思うのだけど、どうやら中学生の自分には人生のはかなさは分からなかったらしい(笑)
若いって言うのはそういうことなのかなと。そして自分はもうジジイの仲間入りなのかと(笑)

同じ作品でも、時が変われば見え方が変わってくる。これは何も映画に限ったことじゃない。
自然だって、人間だってそうだし、自分の人生にかかわるあらゆる環境、外からの刺激がそれに当てはまるはず。

全てのものは使い捨てではない。自分が変われば景色が変わり、全てが新しく刺激的になる。

だから自分は成長を止められない。毎日を出来ればイイ方向に新しくしていきたいと思う。

なんかそういうことまで気づかせてくれたいい映画でした。
適材適所的にいいタイミングだったのかもしれない。(こういうのを運命って言う人もいるけど。)

次はフィフスエレメントという、また古いB級映画を見ようかなと思ってます(笑)
待ってろミラ・ジョヴォビッチのセミヌード…

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2012年5月 2日 (水)

求めよ、さらば与えられん

こんにちは。
なぜか大学の図書館に来るとブログを更新する俺です(笑)

図書館と言えば最近、本を読むようになってきました。
今読んでいるのはエミールというルソーが書いた本です。
あのルソーですね。パチもんじゃなく。
社会契約論とかフランス革命とかに関わった人らしいですね。
社会がホントに弱いので全然分からないんですね。あかんですね。

そのルソーが書いた教育論の本になります。

またしっかり読み終わったら思ったことを書こうかなと思いますけど、とりあえず序章まで読んで気になったのが
「社会人とは分母によって価値が決まる分子にすぎない。」
ってフレーズ。
今、社会人、学生とか色んな身分を表す単語を当たり前に使うけれど、それは一般に言う社会人、学生ってやつがたくさんいて、それがスタンダードになっているから存在する単語であって、
「社会人とは分母によって価値が決まる分子にすぎない。」
のかもしれない。

ルソーは、全てのものは自然の状態が良いものであり、人の手が加わると何かと悪くなってしまうと言ってるけど、実際はどうなんだろう。
そりゃあ昔は天皇陛下バンザーイとか言って、"社会"適合者だけを国民、それ以外を非国民とか言ってフィルターをかけてきたし、それは幸せなことではなかったかもしれない。

じゃあ今の"社会人"って何だろうと考える。
一般的に就活とかで問われる社会人基礎力みたいなやつって、例えば論理的思考力、問題解決能力、コミュニケーション、リーダーシップ、正直さ、謙虚さ...etc

って考えたときに、だいぶ良くない!?と思ったわけです。
わけの分からないフィルターにかけて、人を教育することは洗脳になりうる(戦時中の例とかね)
けど、今社会で求められている資質って、良いものばっかりじゃんと思った。
ていうか、こんだけ資質求められてる世代って、10年後20年後は相当強いんじゃなかろうか。
期待できるねゆとり世代(笑)

ほいで、ルソーが言っている問題の本質って何だろうと思ったときに、やっぱり個人の成長を期待する中で、自分や社会に都合のいいように変化させることを嫌っているのかなと思う。

いくら良いものであっても、無理矢理与える、鍛えることを教育とは言わないのかなと。
教育で一番大事なことは、教えないことかなと自分も思うので。
教育によって人の価値観は簡単に変わるし、それを誰か(何か)の都合の良いように設定するのは、やっぱ教育の道理から外れるのかな?と思ったり。

求めよ、さらば与えられん ってことですかね。

そんな感じの視点で、ルソーが実際何を言いたいのかを考えながら読み進めていきたいと思います。

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2012年4月29日 (日)

お久しブリーフ

こんにちは。
ブリーフ派ではないですが、お久しぶりです。

ブログってのはなかなか続きませんね。何か良い方法あれば教えてください。
前回は…うわ、2/19ですね。引くわ。
ちゃんとやってくださいよと。
ちなみに2/20は僕の誕生日ですので。
…なんでもないですすいません。

最近の僕は、まぁ結構普通に大学生してます。
2月からの流れを汲んでいくと、まぁ就活から話が始まりまして。
いくつか箇条書きで報告していくと、

・第一に内定決まりました。
まだ新しい、いわゆるベンチャーですけど、学習塾ですね。認知心理学を指導に取り入れた塾です。
決め手は、完全に感覚でして。なんの参考にもならないでしょうね。
今自分が感じている教育の問題点なんかを1次、2次とディスカッションしていて、
あ、ここの目指していることとか、問題意識のあり方が自分の持っている物とすごく共通しているなと感じたので、この会社に入ることが自分の成したいことへの近道なんじゃないかと思えたので、第一志望ってことで考え始めました。
そこからは全力で面接の準備だとかをしていって、なんとか内定にこじつけました。
質問したいこと、話したいことをA4一枚くらいびっしり書いて持っていって、出来るだけ自分が出せるようにラフな感じで面接をこなしたら、受かりました。

研修とかはまだまだ始まらないようなので、半年くらいは自由にやってていいよとのことで。
新しいバイト始めようかなぁとか思ってます。

就活生に言うことがあるとすれば(いきなり先輩風吹かせてますが)
「演じるもんじゃない。」
と思います。
言葉遣いとか、挨拶とか、まぁいわゆるマナーってマニュアル感が出たらホントに気持ち悪いと思うので。
自然体でできるくらいに訓練していけばイイんじゃないかと思うし、
緊張してるんですよねテヘペロ☆くらいの素直さでいけばいいと思います。
無理しないのは、生きていく上でも、就活でも大事だと思う。

・通信制高校
今は木金の午後に事務所勤務で仕事をしています。
最近は特に集客の企画と、学生ボランティアの採用と研修の企画を練っています。
現状ある仕事は、どんな人が何人くらい必要で、どんな学生を集めてどんな風に研修をして、どんな資質を身につけてもらうか。
この辺りを現場を見ながら整理して、形にしていく仕事です。
ホントやることだけはいくらでも出てくる訳で、人手が足りない。
自分は後輩を持つのは苦手とするみたいで、なかなか仲間が集まりませぬ。困ったのう。
なかなかなんでも順調にという訳にはいかないけれど、すこしづつやっていこうと思ってます。

・彼女できました
イエーイ

・心理の勉強
今、徳重で心理学(TA:交流分析)の勉強をしています。
人には、優しい人、天真爛漫な人、正義感の強い人など、自我(人格)のタイプってのがあって、
これは場面場面で変化します。
人と人とが争いを起こしたり、上手くいかないのは、この自我状態の扱いが分かっていないからです。
頭ごなしにいったら絶対に仕事をしてくれない人もいれば、逆にキツくいった方が伸びる人もいます。
相手の自我状態というものを分析して、人間関係のトラブルを無くしたり、自分の自我状態を分析して、自分の心のクセに気づくことで人生におけるトラブルを解決したり。
そういう学問です。
カウンセリングとブリーフセラピーくらいは出来るようになりたいなと考えてます。


・今後の自己分析
自分が何をやりたいのか、そのために何が使えるのか。
一度整理して、時間も資源も有効に使っていこうと思います。
自分の事業計画書でも作ろうかなと思います。

今全然機能してないこのブログも含めて振り返りが必要ですね…/(^o^)\

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2012年2月19日 (日)

見える世界が変わるということ

こんばんわ。

第13回創発講座を終えて、川人氏の家へ。(以下、氏)
結構しょっちゅう遊びにいってるんですが、今日はかなりディープリィな話ができ、学びがたくさんあったのでここへアウトプットしようかなと。

まず最近就活をしているんですよねーって話から。
自分が会社を選ぶ時の基準として、新規事業をやる会社がいいということを伝えると、じゃあ新規事業ってなんですかいと。
今までにない新しいものを売ること...?みたいな曖昧な答えになってしまう。
氏いわく
日々起こる社会問題(大小問わず)を解決するために、新規の事業が起こり、それにお金が支払われていく。
むしろ問題解決にならないような仕事には対価は支払われない。と。
うんうん、確かにしっくり来る。新規事業は変化する社会への適応であり、新しいニーズの利用だし、そんな感覚はあったからこの考えはすんなり入る。
じゃあ俺はなぜそれを仕事にする必要があるのか?

自分の場合は、教育というもののなかに問題があると考えていて、
精神的に未熟なままで社会へ出される若者が多いということを感じている。
それは、昔は未熟でも良かったのかもしれないし、成熟し切らずに会社へ入っても中で成長し困ることがなかったからかもしれない。
けど、時代は変わり、今の会社の中では精神成熟度、社会性、人格はかなり評価されるポイントであると思うし、それが原因で就活を落とされると言うこともあるだろう。
現代社会で価値を生み出し続け、生きていくにはそういった力が要求されているのかもしれない。
じゃあ、そんなこと誰が教えてくれるのか。
今の環境では学校も親も友人たちも教えてくれないのではと思う。
親は自分の育てられ方しか知らないし、変化する社会にどうしてイイか分からなくなっている。
学校は教育の形自体が生きる力を伸ばすような形になっていない。試験をし、学力を伸ばしそれを点数化する。そういったことがどのくらい社会に出たときに有効かという話はしない。
だから、社会に出て必要とされる力を伸ばせるようなチャンスを与えたい。そういった仕事をしていきたいと思う。
どんな形態で教育サービスを展開していくかはまだ決めていないけれど、そういうビジネスのネタがあるときに、それをどうやって商売し、事業として継続的に続けていくのか?
その段階を学びたいから、就職は新規事業の出来るところがイイという話。

で、言われるのは
長い。

その通りだ。これを就活の面接で出そうなんて無理がある。もっと単純で簡単で無駄を削いだ形に変えていかなければいけない。
そもそも簡単に話すということをあまり普段やらない。
これは話しても分からないだろうと思われることをあえて話に出すということは性格上絶対にしないからだ。どちらかというと聴きに徹するので相手に話題もあわせる。
これは大きな学びだった。そもそも会社の選び方や、会社がどんな仕事をやっているのかどうかを判別する方法を考えていたけれど、まずは自分がどういう目的で選考を受けるかを伝えなければいけない。
そのための自己PRではないかと思う。
だから、まずは自分が伝えたいことをどうコンパクトに分かるように伝えるかということを最初に考えなければいけないはずだった。

それを続けたときに、自分が結局何がしたいのかということをはっきりさせていくという過程がある。
そういうことが出来るという意味で就活はやった方がイイ、重要だとのこと。

ここに来て見える世界ががらっと変わったなと自分の中で感じた。

ということで色々な疑問をぶつけてみた。

・二面性の話
物事には必ず二面性があると思うんですよねー。という疑問に対して。
多面性、もしくはお前の中の二面性なら分かると言われた。
これもヒット。自分は無意識に『物事の善し悪しの二面性』という意味で言葉を使っていたし、そういう判断基準で考えていたなと思った。
しかもその善し悪しも誰が判断するかによって大いに変わってくる。
俺が使う場合は、俺の考えるってことになるけど、そこには一定の常識も存在するし、かつ一定の傾向も存在するなと思った。そういった常識、傾向に流されずにモノの本質を見抜きたいときに、多面性の中の分かり易い両サイド(良い→悪い、悪い→良い)という物差しを使うことで、固定観念に陥らないようにするというのが、自分の中での二面性の使い方だったなと思った。
ただ、その使用率のあまりそれが全てだと思っていた。でもよく考えたら多様な価値観とかそういう言葉を良く使うし、イベントなどでねらいにも使っている。その経験から考えると物事は多角的だなと思った。

・他人の目を気にするということ
これは賛否両論というか、一概に欠点というべきものではない。
人の目を気にするということを続ければ他人の視点を捉える能力が長けてくる。
それはそれで良い部分になるし、自分もそこが自分らしさな部分があるなと思った。
ただ、自己表現の能力の伸びには悪影響だなぁと。
自分をさらけ出すとか、そういう行為が簡単ではない。
自分と見つめ合う、自分の心の弱い部分と対峙するのに、必ずしもさらけ出す必要があるのかどうかは分からないけれど、さらしてしまった方が圧倒的に効率的であると感じた。
だって、自分の目で見えている世界はほんの少しで、外にさらしてしまうことでほかのあらゆる多角的見方からそれが見られる訳だから。

・自分の自分を見る目
じゃあ一人でなぜ自分を成長させてやれないのかということが悔しくなってくる。
他人の視点から指摘があった方が圧倒的に伸びると分かったと同時に、自分一人の力の限界と無力さを知ることになった。
逆にその考え方にあぐらをかいて自己成長を怠るのもどうかと思う。自分で自分をどう捉えるかという哲学は常に考えていこうと思うし、物事を考えすぎる傾向にある自分にはそれが合っているかなとも思った。

・考えすぎるということ
これは特徴であって、自由じゃんと思った。ただ、感覚で動く人もいる。感覚の方が楽だとか強いとか
ってことは考えていないけれど、ここはその人その人の性格や生き方価値観で決まってくるのかなと思った。そのタイプによって得手不得手や役割分担も変わってくるのだろうと思った。
自分は、考えすぎるところがあるから、感覚で動くことの利点も見つめ、それを考えて体現できるような道を考えたいなと思った。出来なければ、感覚で動く時、考えて動く時を使い分けられるようにしたいなと思った。

・自信と過信
自分に自信があることで、なにか行動をする時の原動力となる。しかし一方で自信で隠れてしまっている自分の未熟さや欠けた能力なども存在する。
そのバランスをどうとれば良いのか。
全く信じないことも、過信することも成長の妨げになるなと思った。
ぞれをどの点で保つか、いつ切り替えるのかというバランス感覚は磨いていかなければと思った。

いろいろな話をしてみて、自分の投げる言葉から自分自身に帰ってくるクリティカルな質問返しがあり、自分だけに見えていた世界の狭さを痛感する結果になりました。
そして、久しぶりにそんな経験が出来たことを嬉しく思います。
見える世界が変わった瞬間っているのは、たいてい成長を実感できるくらい大きな伸びがある時だと思う。
自分だけでは世界は狭く、じゃあどこまで頼るのかというポイントを見つけなければという思いです。
今後なにをしていくのかを考えたくなりました。

まずは就活に向けて自分の整理と表現の練習から。

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2012年2月 8日 (水)

泣ける話

今日の名古屋は大雪でした。今夜は実験が長引いて日付を越えてしまったので家に帰る気力を失って、学生部屋でダラダラしていました。
そしてこんな時間に泣ける話を読んでしまい、深夜に一人で号泣してました。
やっぱり大事な人が死んじゃう系の話はどうしてもないてしまうなぁと。
自分も家族だったら母方の祖父母を亡くしています。
それから、飼っていた犬が二匹とも寿命で死んじゃってますね。

人も動物も、何でこんな簡単に死んじゃうんだろうって、思います。 おじいちゃんの時は、あんまり実感がなかったですね。
物心ついてなかったのかな。幼稚園だったと思うけど、お爺ちゃんが死んだってことは分かってたんだけど...いや分かってなかったのかもしれない。
全然わからないまま、いなくなったって感じで、今も記憶はあんまりはっきりしないけど、遊びに行くたびに「来たか!」って言ってくれた声はなんとなく覚えています。

おばぁちゃんのときは、突然ではなかったけどやっぱり悲しかった。
晩年は介護施設に入っていたのだけど、
最初は母がそこへ行こうと言うたびに「めんどくさいからいいや」と言って行かないことが多かった。
でも最期の方は自分でも何となく、自然と行かなきゃと思って、声をかけられた時は必ず行くようになってました。
痴呆も入ってきて、家族も分からなくなってきていたけど、俺のことは家族の中では最後まで覚えていてくれた方で...いつも名前を呼んでくれた。
あんたはハンサムだねぇ。っていつも言ってくれた。そんなことないのに。笑
それでもやっぱり分からなくなっていって。
でも、会うたびにいつもすごく笑顔だった。もう俺のこと分かってないかもしれないけど。俺も自然と笑えた。
会いに行った時は、昔の想い出を考えると泣けてしまうから、会っているその時間を大事にしようと努めた。でも、その日の夜はどうしても思いだして泣いちゃって。

一緒に散歩しに行った時のこととか
鉛筆削りが壊れた時に、これで買っておいでってお金くれたこととか(それも足りなかったとこも愛嬌だった笑)
外で犬と一緒に遊んだり、ひなたぼっこしたりしたこととか
会いに行くたびに喜んでくれたこととか

数えられるくらいしか思い出せない自分の記憶力を恨んだりした。
何回名前を呼んでくれたか...
おばぁちゃんのことが大好きだったし、おばぁちゃんも俺のことが大好きだったと思う。
それくらい、おばぁちゃんの愛は深かった。
何にもしてやれない自分が憎かった。
いるのが当たり前で、甘えてて、自分勝手だった。
おばぁちゃんはいつも俺のこと想ってくれるのに、俺はいつも自分のことばかり考えてて。
俺は、一生分の時間かけたって、おばぁちゃんにもらった愛情を返せる気がしなかった。
お返しをするには、時間が足りなさすぎたし、それに気づくのが遅すぎた。
最後に、おばあちゃんの似顔絵を描いた。写真の模写だったけど。
めっちゃ笑顔でいい写真があって。もっと若い時で元気のある時だったけど、笑顔はやっぱ変わってないんだなぁとか思いながら描いた。
それをあげた時、めちゃめちゃ喜んでくれて。そんなに喜ぶか?ってくらい。
泣きそうになった。

実際に死んじゃった時は、心の準備はできてたのか、あんまり泣かなかった。
どっちかっていうと自分の悔しさの方が大きかった。
結局何をしたって、人を愛するって力でおばあちゃんに勝てる気がしない。未だに。
子どもは自立しなければいけないし、親を離れないといけない時が来る。
その時には、親を突き放すように距離をとることも多い。
手とり足とり自立の仕方を教わるわけじゃないから親もある意味突き放さなきゃいけなかったりする。
だから、親にもらった愛情を同じだけ返すのは無理だと思う。
そもそも子どもの想像の範疇を超えるくらい大事にされているんだと思う。
だから、もらった愛情は、次の世代とか、自分の周りに伝えていかなきゃと思う。
親へは...なんかまだ恥ずかしくて。多分まだまだ大人になりきれてないのかも。
この恥ずかしさがなくなって、自然にお返しできるとこまで成長したい。
そして、今の自分が持っている関わりを大事にして、言おうと思ったこと、しようと思ったことをその瞬間瞬間に実行していかなきゃと思います。
自分の周りの色々なことに感謝して生きていきたいと思うけど、それを言葉にするのは恥ずかしくて上手く出来ない。
やっぱり自己表現が苦手なので、できるだけ意識的にやっていこうと思います。

それから、自分がしっかりと生きることが大事だと思う。
あなたの育て方は正しかったんだ!と、証明することが親孝行になるかなと思ってます。

ありがとう。

今日は珍しく素直な俺です(笑)

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2012年1月28日 (土)

就活について

こんにちは。ターキーです。

先日ベンチャー企業の人事の方と話す機会があって。
まぁ別に就活とかリクルート的なつもりではなかったんですけど、いろいろと話を頂けて、またいろいろと考えるところもあり、ここにまとめようと思います。

・自分の就活
そもそも、就活というものをしっかりとらえたことは今までなく、ちゃんと手をつけていなかったのがまず一つ。
そこについては人事の方には申し訳ないことをしたなぁと(汗)
右も左もわからない人間と話すなんて、結構な時間の浪費じゃないかなと思います。
会社選びをどうしていいかわからなかったんですけど、その人と話していて学べたのは、その会社がどんなフェーズにいるかで仕事の内容というか動きが変わるからそこは絞ったらいいんじゃないということ。
何を売るかというより、どんな会社がどういう形で売っているのかの方が仕事を選ぶうえではためになる。
出来あがったもの、既存の関係などをどう回すかという話と、今のやり方で新規の客などでどう広げるかという話と、新しいやり方でどう仕事を創っていくかという話と..
やっぱり最後のがいいかなと思うのでそういうフェーズにある会社を選ばなければとのことです。
新しく仕事を作っていくという点では会社自体に余裕がある必要があると思います。また、大企業よりはベンチャーの方がいいのではとなりました。確かに、他の仕事へ転職するためにやめる方向ならば大企業である必要はないかなと思いました。

・強み
学生が言う自分の強みなんてものは、学生の世界での話で、ビジネスの世界では単なる特徴に過ぎなくなるのではないか、というかたぶんそうなんだろうなと感じました。
学生界とビジネス界との間にギャップがあるんだろうなぁと。
そりゃあ、まだ一度もビジネスの世界に出ていないのだから自分の持っている素材が強みになるのかなんてそもそもわかりようがないかなと思います。
また、ビジネスにおける強みだって、例えば教師に転職したら強みではなくなるかもしれません。
結局、違うフィールドに移動するのだから、そういった具体的強みをひねり出すことに意味があるのかという想いです。
ただ、その人の成長の先にはその人の個性が出ると思います。冷静沈着型の人もいれば、アツくて行動力があってみたいな人もいる。そして、それぞれが必要ですが、そもそも採用の時点でそこまで設計して採用してもそううまくはいかずに理想からずれるでしょうから、入社した後でその人たちをどう育て上げるかのほうが重要な気がします。
というか、そういう人的資源の扱い方が組織なのかなと思っています。
そうなると、やはり採用時の指標は、この人は本当に辞めずについてくるのか?という点が一つ大きいかなと。
基本的な能力に加えて、そこが上手く魅せられれば採用に繋がるのかなと、これから就活する身としてメドを立てています。
自分は自己表現が苦手なので、ある程度魅せる努力をしなければいけないと思っていますが、嘘をついてもしょうがないし、自分の将来のために学べる場を選んでいきたいと思うので妥協はするつもりはないですが、印象など左右できるところは積極的に変えていきたいかなと思います。

・仕事
結局、自分のやりたいことができる仕事場という考えはちょっとおかしいのではという結論に。
自分ならば、教育分野で、親と子との3者で協力して教育をしていく、そんな仕事をしたいと思っていますが、実際その現場というか実質的に人と関われる時間と、そうでない時間の両方があり、自分が別にやりたいと思っているわけではない仕事(事務、掃除、単純作業など)だってこなさなきゃいけないわけです。
というか、むしろそういった仕事の方が全体のうち高い割合を占めていると思います。
だから、自分のやりたいことを仕事としてやっていきたいなら、そのために必要なこと(学ばなければいけないコト)は少なくともやりたいわけではない部分に多く存在するかと思っています。
そう考えると、『自分のやりたいことができなさそう』という理由に縛られるすぎると会社選びを失敗するというか、そんな会社ないんじゃないか...ってなると思ってます。
『自分のやりたいことができるかどうか?』で会社を選ぶのではなく、
『自分のやりたいことを仕事としていくのに、必要なことが学べるかどうか?』という視点で会社を選んでいくべきかなと思います。
そもそも自分のやりたいことがお金になり、それで生活できるなんてコトは簡単なことではないというか、それこそ起業の道がそれだと思うのですけど、そうなると従属的な会社選びでは上手くいかないかなと思えました。


今まで全然わからなかったことや違った認識を持っていたことに少しつづ新しい見方が加わってきました。
次はビジネスの知識、言語を上手くつかんで自分をその中で表現することを目指したいと思います。

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2011年12月28日 (水)

冬期講座

こんにちは。
うちの塾の冬期講座が昨日で全3日間が終了しました。
本当にいろいろな講座をしていただいて、講師の3方には感謝です。
生徒の反応はというと、面白かった、楽しかったなどの感想が聞けてすごくうれしいです。
やってよかったなと思いました。
やっぱり先生となるとどうしても方に力が入ってしまうところもあるので、大学生や若手の社会人の講義は授業に比べてどこか不思議な感覚になるみたいです。
内容も数学、や英語、みたいにはっきりと科目や知識が定まっているものではなく、応用力や論理的思考力、表現読解力などを伸ばすためのカリキュラムとしたため、学校とは違って面白いという感想に繋がったのかなと思います。

場所を貸していただいたのがセラピストで心理学のTA(分析交流)分野の専門家の方だったのですが、お話をしていたときに出てきたのが

「生きていく上で一番大事なことは、今、どこが教えているのか?」
という話。
学校か、塾か、家庭か...
自分は、これを伝えるために教育の世界に入っていきたいと思っているけれど、すぐに教員になりたいとは思えません。
たぶん、自分の本当に教えたいことが学校教育の中ではできないのでは?と何となく感じているからなのか、
もしくは、自分のクラスではきちんと教えることができても、違う先生のクラスは違ったことを教えているという状況が納得いかないのか。
とにかく、生きる力を伸ばせる機会をすべての子供に提供するには、大きな壁がある気がして、それは教員となって中から変えることはできないのではないか、と感じているのです。

いろいろな課題があるとは思いますが、一つに家庭の環境があると思います。
家庭環境、育った環境は子どもの人格形成に大きく影響します。
各個人の持っている自我はなにかしら癖を持っています。受験や就活では自分というものをしっかりとらえて、目標設定や計画作成を進めなければいけません。
自分のコントロールができなければいわゆる”やる気”を出すことも持続することもできないからです。
例えば、自由奔放に育てられた子はやはり学習面でもその性格が大きく現れます。きちきちと覚なければいけない社会や、数学の特に計算、証明だったりを苦手とします。
一方、大まかに捉える速読力や興味をそそる理科が伸びたりします。

逆に親のしつけが厳しかったりすると、自分から何か試していいものかと物怖じすることで、応用力や発想力が低くなりがちです。
計算処理、それから宿題の達成率は高かったりします。
双方、良し悪しはありますが、どちらもそれだけでは受験は乗り越えられません。
自分のタイプ、性格を捉えた上で対策をしていかないと、いくら勉強してもなかなか伸びないという事態になります。

自分にあった勉強法は何か、苦手を克服するにはどうしたらいいのか、このペースで進めて本当に受かるのか。
とにかく、考えてほしい。考え抜くことでより成功に一歩近づくと思うし、考えなしに進めていけば努力は無駄になり失敗すると思います。

うちの塾ではこういうセルフコントロールのようなことを教えてきたいなと思っています。
来年はいろいろなことを勉強していかなければと思っています。

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2011年12月16日 (金)

就活

お久しぶりです。ターキーです。
お久しぶりですとか言うレベルじゃないですよw
前回8月とか、完全にオワコンですね。

今年は就活スタート時期が2ヶ月遅れて12月からです。
そう、もう始まってます。
自分も就活の波に乗りたい訳ですけど、卒論やら塾の年末の処理やらなんやらかんやらで全く手を出せずにいます。
だいたい、卒論の負担が大きすぎる。ホント文系行けば良かった。
教育学部とか心理学部とかなら今すぐ書けそうな気がする。
実験がホントに邪魔です。
塾の方はだんだん方向性が見えて来たところなんですね。
他社にないウチの強みが少しづツ見えて来て、それを踏まえてシステムとか広報戦略とかを変えていきたいのです。大事な時期なのです。
年末には冬期講座がありますし…
ホント客集まるといいな。
なによりも時間が欲しいターキーです。

さて、就活ということで今日は自分の人生プランについて書き綴りたいと思います。

自分の人生に置ける軸というか、信念みたいなものがあって
『他人の人生を楽しくしたい』
これなんです。これが出来るとき、自分の価値を感じることが出来るし、自分が最高に楽しくなれます。いかにしてこれを続けていく、仕事にしていくかが自分の中での課題です。
今は、他人に最も影響を与える仕事である教育の分野にいます。
就活も教育分野を考えています。
他の業界としては、農学部という専門を考えると、食品、農業関連などに目を付けています。
Webを創るのが好きなので、インターネット関連も少し考えています。

30歳になる前には、一応教師になることを考えています。
もしくはそれに代わる職業。
やはり人と関わる最前線として教職を考えています。
ちなみに最近考えている別のパターンとして、心理士を考えています。
臨床心理士の様に重度の疾患を診るというよりは、対人コミュニケーションなどのスキルなどの視点からサービスが展開できたらと思っています。
来年度は実践TA心理士の勉強をしようと考えています。

その先は、やっぱり農業をやりたいなと思っています。そのための収入源としての副業を見つけることが30代でのミッションになるかと思います。

こうやって長い目で見たときに、やっぱり卒業後すぐに教職というのは、あまりにも道を狭め過ぎではないかと思ったのです。
教職というのは、別の仕事から入ることは他の業界に比べて容易い傾向にありますが、辞めるとなると逆に辞めづらいのではと思います。
仕事内容もさることながら、やはり毎年入ってくる生徒たちを残して辞めるという行為は、自分は苦手な気がします。

経験を積むという意味で、教育とは違った仕事をしてみるのは大事だなと思います。
ということで今年の就活はあまり業種も業界を絞らないでいこうと思ってます。
というか、そもそも今年で決めちゃおうって意気込んでいる訳でもないんですけど…。
結局、自分は大学院に行かないことにしましたけど、行ってたとしたら後2年あるので、それくらいならロスタイムとして就職遅らせるのもアリかなとか思ったり。
今年、教育実習があるので選考とかぶるかもしれないんですよね。
そしたら否が応でも…
ベンチャーとかなら遅らせてくれたりすると思いますけどね。
そういえば友人からベンチャーへのお誘いがあったり、社長に紹介してくれるとかで、¥に恵まれているなぁありがたいなぁと思ってるところです。

あと、今日通信制高校の校長(?)に下手な社会人より遥かにしっかりしていると言われて調子に乗っているターキーでした。
でも、"下手"じゃなくて普通の社会人よりもしっかりしているって言われるようになりたいなと思います。

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2011年8月19日 (金)

生き活スタッフ研修

ご無沙汰です。
月曜日は生き活スタッフ研修に岐阜の山岡へ。
今日までの3日間は知り合いの農園主催の子供たちのキャンプにスタッフとして行ってきました。
キャンプについてはまた明日にでも書きます。

まずは生き活から。
生き活についてはスタッフとして関わっている訳ではなく、代表と知り合いなので行った訳で良くわかっていないかも分かりませんw が、分かる範囲で自分が思う生き活とは何なのかをまずは紹介しようかと思います。

生き活とは、自分がどう生きるかを考え、それに必要な成長を目指す場所でしょうか。
生き方とは就職先の選び方などにとどまることではないのですが、それでも仕事というのは大きい。自分が生み出せる価値をお金に変えるという作業をしなければならず、そのために必要なことはきっとたくさんある。
例えば、自分の弱点を見つめられること、嫌いな人の話もしっかり聞くこと、自分の想いと日々の行動を一致させること...etc
それらを積極的に磨いていこうという場が生き活塾です。
学生スタッフももちろん生き活の真っ最中なので今回は彼らと行き活を深めるための1泊の合宿でした。
スタッフはみんないい人で、さすが生き活をやって来ただけあると思いました。
初対面の人間と接しているのに壁を感じないんですね。
生き活を通して自分と向き合うことをしてきたからか、他人の受容できるスキルがすごいなと思いました。
同時に、生き活の色々な話を聞きながら、自分も見えない壁を作っていたり、人の目を気にして見栄をはったりとかそういうことを無意識にやっているのかもしれないし、やっていないかもしれないなぁとか考えさせられました。
他人に突っ込まれれば色々と出てくるような気がしなくもないんですよね(--;)
他人視点からも色々ともの(自分)を見ていかないといけない、というか、自分をしっかり見てくれる仲間を大切にしていかなければと思いました。
今後の生き活実行委員会の行く末は気になりますが、こういうことが必要な世の中になって来ていることは間違いない気がしているので、あとはそれを"いつ""だれ"がやるのかということで、そこに上手くフィットさせることが出来れば大きくなっていくのかなと思いました。

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2011年8月 1日 (月)

夏休み

こんにちは。ターキーです。
8月さんに命狙われ水際まで追い詰められてる感じです。
世間は夏休みですが、そんなものはありませぬ。研究室生ですから。
まぁこの1週間は飲みやら食事やらで擬似夏休みムードでした。

8月末には大学院試験があります。

8月中に教職課程の理科教育法の集中講義で丸10日間日中がつぶれます。

院試落ちるかもしんな(ry

がんばります。

そんななかで、また余計なことをしようと思っています。
講座を、やろうと思っていて。
7月16日~18日にサマーセミナーという教育の祭典がありました。
誰もが講師で誰もが生徒になれる、つまり誰でも講座を出せる文化祭みたいなのに「教わる力」という題目で講座を出しました。
いろんな人、それこそ老若男女で下は中学生から上は大学教授まで来ていただいてホントありがたいと思いました。っていうか、そんな来ると思ってなかった。
ただ、あの講座をしたことで、自分の問題視していることが他の人も感じているのかもしれないという確信と、自分がアウトプットを行うことで自分が今まで何をしてきて、これから何をしていきたいのかということが少しづつはっきりしていく感覚がありました。

講座自体は本当はもっと伝えたいことがあったのにと、反省が大きい内容になってしまいましたが、今後へつながる手ごたえは得られたと思います。
ということで来週あたりに「教わる力」の内容で大学内で講座開こうと思ってます。

教わる力とは

つまり、1を知って10を得るにはどうしたらいいのか。
世の中のこと、自分の体験は氷山の一角で、自分の見えていないことがたくさんあります。
何年もしてから「あぁ、あの人の言ってたのはこういう意味だったのか」と分かることって実体験ないでしょうか?
その日その日の勉強、活動、体験、から、できるだけ多くのことを学び取るのに必要なのが教わる力だと思ってます。
教わる力は考える力を基礎に構成されています。
ものを教わるときに発揮される考える力みたいなイメージです。
考える力を掘り下げながら、ものを学ぶときにどう生かしたらいいのかという話をしようと思ってます。
というか、自分はどう生かして今までやってきて、今どんなことを考えているのか、という実体験を中心に話が進むのかなと思います。

いやー、どうしたもんかな(^^;)
内容をしっかり詰めていかないとですね!

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