こんばんわ。
第13回創発講座を終えて、川人氏の家へ。(以下、氏)
結構しょっちゅう遊びにいってるんですが、今日はかなりディープリィな話ができ、学びがたくさんあったのでここへアウトプットしようかなと。
まず最近就活をしているんですよねーって話から。
自分が会社を選ぶ時の基準として、新規事業をやる会社がいいということを伝えると、じゃあ新規事業ってなんですかいと。
今までにない新しいものを売ること...?みたいな曖昧な答えになってしまう。
氏いわく
日々起こる社会問題(大小問わず)を解決するために、新規の事業が起こり、それにお金が支払われていく。
むしろ問題解決にならないような仕事には対価は支払われない。と。
うんうん、確かにしっくり来る。新規事業は変化する社会への適応であり、新しいニーズの利用だし、そんな感覚はあったからこの考えはすんなり入る。
じゃあ俺はなぜそれを仕事にする必要があるのか?
自分の場合は、教育というもののなかに問題があると考えていて、
精神的に未熟なままで社会へ出される若者が多いということを感じている。
それは、昔は未熟でも良かったのかもしれないし、成熟し切らずに会社へ入っても中で成長し困ることがなかったからかもしれない。
けど、時代は変わり、今の会社の中では精神成熟度、社会性、人格はかなり評価されるポイントであると思うし、それが原因で就活を落とされると言うこともあるだろう。
現代社会で価値を生み出し続け、生きていくにはそういった力が要求されているのかもしれない。
じゃあ、そんなこと誰が教えてくれるのか。
今の環境では学校も親も友人たちも教えてくれないのではと思う。
親は自分の育てられ方しか知らないし、変化する社会にどうしてイイか分からなくなっている。
学校は教育の形自体が生きる力を伸ばすような形になっていない。試験をし、学力を伸ばしそれを点数化する。そういったことがどのくらい社会に出たときに有効かという話はしない。
だから、社会に出て必要とされる力を伸ばせるようなチャンスを与えたい。そういった仕事をしていきたいと思う。
どんな形態で教育サービスを展開していくかはまだ決めていないけれど、そういうビジネスのネタがあるときに、それをどうやって商売し、事業として継続的に続けていくのか?
その段階を学びたいから、就職は新規事業の出来るところがイイという話。
で、言われるのは
長い。
その通りだ。これを就活の面接で出そうなんて無理がある。もっと単純で簡単で無駄を削いだ形に変えていかなければいけない。
そもそも簡単に話すということをあまり普段やらない。
これは話しても分からないだろうと思われることをあえて話に出すということは性格上絶対にしないからだ。どちらかというと聴きに徹するので相手に話題もあわせる。
これは大きな学びだった。そもそも会社の選び方や、会社がどんな仕事をやっているのかどうかを判別する方法を考えていたけれど、まずは自分がどういう目的で選考を受けるかを伝えなければいけない。
そのための自己PRではないかと思う。
だから、まずは自分が伝えたいことをどうコンパクトに分かるように伝えるかということを最初に考えなければいけないはずだった。
それを続けたときに、自分が結局何がしたいのかということをはっきりさせていくという過程がある。
そういうことが出来るという意味で就活はやった方がイイ、重要だとのこと。
ここに来て見える世界ががらっと変わったなと自分の中で感じた。
ということで色々な疑問をぶつけてみた。
・二面性の話
物事には必ず二面性があると思うんですよねー。という疑問に対して。
多面性、もしくはお前の中の二面性なら分かると言われた。
これもヒット。自分は無意識に『物事の善し悪しの二面性』という意味で言葉を使っていたし、そういう判断基準で考えていたなと思った。
しかもその善し悪しも誰が判断するかによって大いに変わってくる。
俺が使う場合は、俺の考えるってことになるけど、そこには一定の常識も存在するし、かつ一定の傾向も存在するなと思った。そういった常識、傾向に流されずにモノの本質を見抜きたいときに、多面性の中の分かり易い両サイド(良い→悪い、悪い→良い)という物差しを使うことで、固定観念に陥らないようにするというのが、自分の中での二面性の使い方だったなと思った。
ただ、その使用率のあまりそれが全てだと思っていた。でもよく考えたら多様な価値観とかそういう言葉を良く使うし、イベントなどでねらいにも使っている。その経験から考えると物事は多角的だなと思った。
・他人の目を気にするということ
これは賛否両論というか、一概に欠点というべきものではない。
人の目を気にするということを続ければ他人の視点を捉える能力が長けてくる。
それはそれで良い部分になるし、自分もそこが自分らしさな部分があるなと思った。
ただ、自己表現の能力の伸びには悪影響だなぁと。
自分をさらけ出すとか、そういう行為が簡単ではない。
自分と見つめ合う、自分の心の弱い部分と対峙するのに、必ずしもさらけ出す必要があるのかどうかは分からないけれど、さらしてしまった方が圧倒的に効率的であると感じた。
だって、自分の目で見えている世界はほんの少しで、外にさらしてしまうことでほかのあらゆる多角的見方からそれが見られる訳だから。
・自分の自分を見る目
じゃあ一人でなぜ自分を成長させてやれないのかということが悔しくなってくる。
他人の視点から指摘があった方が圧倒的に伸びると分かったと同時に、自分一人の力の限界と無力さを知ることになった。
逆にその考え方にあぐらをかいて自己成長を怠るのもどうかと思う。自分で自分をどう捉えるかという哲学は常に考えていこうと思うし、物事を考えすぎる傾向にある自分にはそれが合っているかなとも思った。
・考えすぎるということ
これは特徴であって、自由じゃんと思った。ただ、感覚で動く人もいる。感覚の方が楽だとか強いとか
ってことは考えていないけれど、ここはその人その人の性格や生き方価値観で決まってくるのかなと思った。そのタイプによって得手不得手や役割分担も変わってくるのだろうと思った。
自分は、考えすぎるところがあるから、感覚で動くことの利点も見つめ、それを考えて体現できるような道を考えたいなと思った。出来なければ、感覚で動く時、考えて動く時を使い分けられるようにしたいなと思った。
・自信と過信
自分に自信があることで、なにか行動をする時の原動力となる。しかし一方で自信で隠れてしまっている自分の未熟さや欠けた能力なども存在する。
そのバランスをどうとれば良いのか。
全く信じないことも、過信することも成長の妨げになるなと思った。
ぞれをどの点で保つか、いつ切り替えるのかというバランス感覚は磨いていかなければと思った。
いろいろな話をしてみて、自分の投げる言葉から自分自身に帰ってくるクリティカルな質問返しがあり、自分だけに見えていた世界の狭さを痛感する結果になりました。
そして、久しぶりにそんな経験が出来たことを嬉しく思います。
見える世界が変わった瞬間っているのは、たいてい成長を実感できるくらい大きな伸びがある時だと思う。
自分だけでは世界は狭く、じゃあどこまで頼るのかというポイントを見つけなければという思いです。
今後なにをしていくのかを考えたくなりました。
まずは就活に向けて自分の整理と表現の練習から。
最近のコメント